2013年10月11日 記
2016年11月19日更新
「スーパーマリオブラザーズ」。
それは、たとえ当時ファミコンに夢中になっていた世代でなくとも、きっと誰もが知っている横スクロールのアクションゲームである。
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目次
1. 超有名ソフト
販売本数の記録
マリオの名前を冠した任天堂のファミコンソフト第一弾は、1983年9月9日に発売された、1画面固定のアクションゲーム「マリオブラザーズ」である。しかし、ファミコン版「マリオブラザーズ」の発売から約2年後の1985年9月13日に発売された「スーパーマリオブラザーズ」は、「スーパーマリオ」シリーズの第一作目として語られることの方が多いように思える。それほど、「スーパーマリオブラザーズ」(以下「スーパーマリオ」)の完成度が素晴らしく、社会的影響力が絶大だったと言えるのかもしれない。
大ヒットとなった「スーパーマリオ」は、世界で累計4000万本以上売れたそうだ。この記録は、長い間、世界でのゲームソフト累計販売本数第1位として認定されていた。開発責任者の任天堂の宮本茂氏は、ここまで売れるとは予想していなかったと後に語っている。(ちなみに、2013年現在の累計販売本数第1位は、「Wii Sports」である。その理由の一つとして、海外では必ずWii本体に同梱されていたことが考えられる。なお、任天堂のIR情報「2009年3月期第3四半期 決算説明会資料」を見るに、2008年12月末までには「スーパーマリオ」の累計販売本数を抜いていたと思われる。)
発売当時のファミコン環境
ファミコン発売日である7月15日を基準にすると、最初の一年間ではファミコンソフトは17本発売され、その全てが任天堂製だった(参考:「ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧-Wikipedia」)。
それが次の一年では、倍以上の36本が発売されたものの、任天堂製ソフトは12本にとどまっている。ファミコンに他社(サードパーティー)が参入したのだ。事実、ファミコン二年目には、ハドソンやナムコなど6社からファミコン用ゲームソフトが供給されている。また、日本初のファミコン専門の情報誌『ファミリーコンピュータMagazine(以下ファミマガ)』(徳間書店)が、ファミコン生誕二周年目に当る1985年7月に創刊されている。このような経緯から鑑みるに、「スーパーマリオ」発売当時(1985年9月)には、既にファミコンは家庭用ゲーム機市場で優位に立とうとしていたと言える。
ロムカセットの集大成
ファミコン初期を支えた立役者は、ファミコン本体と同時発売された「ドンキーコング」(任天堂)や、ナムコの定番シューティングゲーム「ゼビウス」と言った、アーケード(業務用)で人気の出たゲームの移植作やアーケードと同時(または数ヶ月遅れ)で発売されたゲームなどが多かった。しかし、「スーパーマリオ」はファミコンの為に、ファミコンのロムカセットの集大成として世に送り出されたそうである。なんでも、「スーパーマリオ」と開発時期が重なる「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」(1986年2月21日発売)の登場後は、ディスクシステム用のディスクカードに移行していくつもりだったそうだ。事実、宮本茂氏は自社制作のインタビュー内で、「カセットで出す最後のソフトのつもりだった」と語っている。(詳細は、「任天堂公式サイト>「社長が訊く『スーパーマリオ25周年』>『スーパーマリオ』生みの親たち 篇」をご参照。)
記事によれば、早くも初期の仕様書の段階から「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「マリオブラザーズ」の各要素を中心に改良を加えると明記されていたらしい。実際に、「スーパーマリオ」の登場キャラクターは「マリオブラザーズ」から引き継がれているし、ジャンプ台は「ドンキーコングJR.」のジャンプ台そのものである。また、スーパーマリオ状態の大きなキャラクターを動かすノウハウは「デビルワールド」(1984年10月5日発売)にあり、ワールド間のワープは「エキサイトバイク」(1984年11月30日発売)にて遊ぶレベルを選択できるところから発想が広がっているのだと言う。もちろん、海の中を自在に泳ぐシーンは、任天堂の現社長(※2013年10月現在)である岩田聡氏がファミコン版の開発を担当した「バルーンファイト」(1985年1月22日発売)での空を飛ぶプログラムが参考にされている(参考:「任天堂公式サイト>「社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』>その2」)。こうして、実に様々なノウハウを詰め込んで、まさに集大成として作られたのが「スーパーマリオ」だったのだ。
ちなみに、1986年に登場した「ディスクシステム」自体は400万台以上売れる大ヒットとなったが、徐々にロムカセットの改良が進み、次第にディスクカードのロムカセットに対する優位性が失われてしまった。その結果、最終的に生き残ったのはロムカセットの方であり、「スーパーマリオ」は任天堂による最後のロムカセットゲームとはならなかった。もし、当時の任天堂が、最初からロムカセットとディスクカードを両輪にする考えであったなら、任天堂製ロムカセットゲームの集大成としての「スーパーマリオ」は、生まれていなかったのかもしれない。
TVゲームの代表作に
「スーパーマリオ」の説明書には
“このゲームは、右方向スクロールのファンタスティックアドベンチャーゲームです。”
と書かれている。今読んでもピンと来ないが、他に説明のしようが無かったのだろう。それが、「スーパーマリオ」登場後には、「それってどんなゲーム?」「スーマリみたいやなつ」「なるほど」という会話は日本中のあちこちで成り立っていたと思う。「スーパーマリオ」は「スーパーマリオ」というジャンルを形成したと言えるのかもしれない。
当時、発売前よりも発売後にブームに火が付いた印象がある。自分の周りでも、たまたま友達の家で遊んだ友人が、誕生日やクリスマスのプレゼントとしてファミコンと「スーパーマリオ」を一緒に買ってもらった、という話はよく聞いた。そうした結果、国内だけでも600万本越えの大ヒットとなったのだ。前掲の「ファミマガ」編集部が制作した「スーパーマリオブラザーズ完全攻略本」(徳間書店)は、1985~1986年の二年間、連続してベストセラー第一位になったと記憶している。それだけ「スーパーマリオ」人気が長く続いていたのだ。さらに朝日新聞社の「アサヒグラフ」では、1986年1月24日号にて「まるかじりスーパーマリオ」と題して、表紙にファミコンとスーパーマリオを使用したことがあった。これはどう見ても大人向けの攻略記事である。子供のみならず、大人も夢中にさせたのだ。(※前掲の「社長が訊く『スーパーマリオ25周年』」の「ファミコンとマリオ 篇」でも、この時の「アサヒグラフ」について語られている。)「スーパーマリオ」の登場と、そのヒットにより、ファミコンは、家庭用ゲーム機としての地位のみならず、家庭用ゲーム機そのものの社会的地位をも確立したと言っても決して過言ではないだろう。
次章では、そんな「スーパーマリオ」の魅力に迫ろうと思う。