2013年9月4日 記
2015年10月4日再構成
「スターラスター」。
昔懐かしい「namcot(ナムコット)」ブランド。そのファミコンでのNo.12は、ナムコ初のファミコンオリジナルにして、既に完成された名作3Dシューティングゲームだった。
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目次
1. 名作3Dシューティング
1985年12月に発売された「スターラスター」は、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が開発・販売した初のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)用オリジナルの3Dシューティングゲームだ。もっとも、完全オリジナルでは無く、アメリカAtari社の「Star Raiders」をベースに開発されたらしい。・・・とまあ、そんな事情は当時の小学生だった私には全く関係なかった。
開発の経緯はともかくとして、ゲームとしてのその出来は大変素晴らしかった。
コックピットからの視点
まず、何と言っても、コックピットの中に入っているのだ!
当時のシューティングゲームの主流は、インベーダーゲームの延長だった。即ち、タイトーの「スペースインベーダー」の流れを組む「ギャラクシアン」のような固定面クリア型のシューティングから、「スーパーマリオブラザーズ」登場前のファミコンを支えたとも言われるナムコの「ゼビウス」のような縦スクロールシューティングなど、宇宙や戦闘機をメインとしたほとんどのシューティングゲームでは、戦闘の様子を俯瞰して、上から見下ろしたような視点で描かれているものが多かった。
それが、「スターラスター」では、コックピットの中に入っているのだ!!
確かに、1人称視点のシューティングという点では、任天堂の光線銃シリーズの様なガンシューティング形式のものが、84年2月には既にファミコンに移植されている。また、「スターラスター」よりも10ヶ月も早く、ジャレコから発売された「エクセリオン」(85年2月発売)は、固定面クリア型シューティングではあるが、自機を斜め上から見ることに加えて、画面下部に地形の背景をスクロールさせることで、頑張って疑似的に3Dに寄せている。
しかし、「スターラスター」では、コックピックの中に入っているのだ!!!
・・・そろそろコックピットネタはお腹いっぱいになった頃だろう。故にこの程度で止めておくが、それほどまでに、当時、戦闘機のコックピットに入っているという視点のインパクトは絶大だったのである。
3次元の宇宙空間
次に、宇宙空間に漂っている感じと言うか、浮かんでいる感じと言うか、そんな演出が素晴らしかった。
或いは、スピードを出し過ぎると、なかなか止まれない。広い宇宙の中で、やっとの思いで見つけた補給基地。勢い余って通り過ぎてしまうのは、誰もが経験するであろう通過儀礼だ。或いは、ダメージを受けるとコックピットが揺れる。長過ぎず、短過ぎず、良い塩梅の揺れ具合である。ヤラレタ感が瞬時に出てくる。そういった演出が絶妙なのである。
最初は操作に戸惑うかもしれない。上手く止まれず、敵の弾が避けられず、イライラしてしまうかもしれない。しかし、これが慣れてくると、病み付きになる。一回15分~30分のプレイ時間も丁度良い。
――ちょっと宇宙を救いに行って来る。
「スターラスター」は、その手軽さとリアルさが表裏一体となった、大変良く出来たゲームなのである。
・・・まあ、とても地味だけどね。
2. ナムコのファミコン第12弾
さて、「スターラスター」は、ナムコのファミコン第12弾にして、初のファミコンオリジナル作品である。
「スターラスター」の発売された1985年と言えば、9月に発売された「スーパーマリオブラザーズ」のヒットにより、ファミコンのみならず家庭用ゲーム機が広く社会的地位を得た頃である(※1)。そんな年の12月までに、ナムコが12作品ものファミコンソフトを発売出来たのには、それなりの理由がある。
(※1)詳細は当サイト>「スーパーマリオブラザーズ」>1. 超有名ソフトをご参照。
そもそも、ファミリーコンピュータが発売されたのは、今から30年以上前の1983年7月15日である。Wikiのまとめ(ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧-Wikipedia)によると、83年には9本、84年には20本、そして「スターラスター」の発売された85年には69本のタイトルが発売されたそうだ。83年の9本は全て任天堂が発売しており、他社、即ちサードパーティからファミコンソフトが発売され始めたのは84年7月からだ(※2)。
(※2)ウェブサイト上のあちらこちらの記事を読むと、どうやら全て自社製品だけでファミコンソフトを賄う予定だった任天堂は、当初、他社向けの開発環境を整備していなかった。それ故に、独自に解析し、開発環境を整えられた会社からファミコンソフトを制作できていたようだ。もちろん、販売するには任天堂の許可が要るのだが、まだライセンスビジネスが確立されていなかった時代なので任天堂は商標権だけで対応せざるを得なかったそうだ。この辺りの話は、任天堂公式サイトの「社長が訊く『スーパーマリオ25周年』>ファミコンとマリオ篇」が参考になる。
さて、ここからが本題である。ナムコのファミコンソフト第1号は1984年9月7日発売の「ギャラクシアン」だった。これは、サードパーティが発売したソフトとしては、かなり早い。
先程、他社製のファミコンソフト第1号は、84年7月だったと記述したが、より具体的には、ファミコンでプログラムを組める「ファミリーベーシック」を共同開発したハドソンによる1984年7月28日発売の「ナッツ&ミルク」である。ハドソンは、他社に先駆けてファミコンの開発機に触れる機会があったからこそ、いち早くファミコンソフトを出す事が出来たともいえる(※3)。
(※3)ハドソンが「ファミリーベーシック」を開発し、ファミコンに参入した経緯については、元ハドソンの岩崎啓眞氏の個人ブログ『Colorful Pieces of Game』の「ハドソンがファミコンに参入するまで(1)」「同(2)」「同(3)」「同(4)」「同(5/終)」「同(補足)」が詳しい。ちなみに、同ブログによると、7月20日には「ナッツ&ミルク」と「ロードランナー」が出荷されたものの、流通の都合で7月28日に「ナッツ&ミルク」が、7月31日に「ロードランナー」が店頭に並んだらしい。
「ファミリーベーシック」の共同開発という素地があった訳でもないナムコだが、ハドソンから僅か40数日遅れでソフトを発売出来ていた。そのカラクリについては、前掲の任天堂公式サイトの「社長が訊く『スーパーマリオ25周年』>ファミコンとマリオ篇」に記述がある。これによると、日本国内では一般的では無いCPUを、“解析され難い”という理由もあってファミコンに採用したところ、ファミコン発売の半年後くらいに、ナムコの技術者の一人がファミコンのCPUの正体に気付き、いち早くファミコン用ソフトの開発にこぎつけたのだそうだ。ちなみに、任天堂元社長で、当時HAL研究所に在籍していた岩田氏は、ファミコンで採用されたCPUの“エキスパート”だったそうだ。なんでも大学時代に趣味で触っていたパソコンのCPUが同じものであったらしい。こういうファミコン創成期の話は、個人的には実に興味深いが・・・今回の主題は「スターラスター」である。
次章では、「スターラスター」のゲームシステムを簡単にご紹介しようと思う。